こんにちは。

飯田橋のカウンセリングルーム、サードプレイスのナカヤマミチです。

子どもの頃に、「ゼロの発見」とか「無意識の発見」について学んだ時は、既にゼロや無意識の概念は自分の中で既知のものだったため、これらの発見のなにがそんなにスゴイのか今一つぴんとこなかった記憶があります(こう書くとカッコよく聞こえますが、よくわかんなかったってことです)。

オトナになった今だからこそ、ないものを発見することの難しさを身に染みて感じることができます。

ソクラテスは「無知の知」を説き、養老孟子先生も「バカの壁」に気が付くように諭してくれていますが、知らないものを知るようにするってとても難しいことです。

 

例えば、心身症といわれる、心の状態が身体に表現される病気、というか状態があります。

子どもが朝、学校に行く時にお腹が痛くなったり、熱が出たりするので、では今日は学校を休みなさいということになると不思議とその体の症状が消失してしまいます。

普通の親だと「ズル休みだ」といって叱ったり、少し勘のいい親だとなにか学校で問題でもあるのかと心配したりします。でもそういう日が続くと、普通の親でも学校で何かあったのではと考えるようになり、子どもに聞いてみたりするのですが、子どもからは「別に」とか「なんでもない」という答えしかかえってきません。

子どもが何か隠している、と考えるのはごく一部の疑り深い親で、大抵の親は「話すのが難しいのであろう」と子どもが表現できるほど、その何かに十分気が付いていないと考えて、学校の先生に連絡などして、周りからの情報収集に努めるでしょう。

そして子どもがどんな問題に突き当たっているのか、パズルを作るようにひとつづつピースを当てはめて検証していくうちに、その問題とやらは、友人関係であったり、学業のことであったり、先生との関係であったりするということが、だんだんと明るみに出てきます。

親などがそれらを検証したり対処するプロセスを通して、子ども自身にも問題が意識化され、言語化ができるようになると、身体の症状はいつのまにかなくなっていくのです。

個人差はありますが、子どもにとって自分自身の状況を客観的に眺めたり、そこから生じるストレスに気が付くことは難しく、意識される前に身体に表現されることも多くみられます。しかし、それに気が付いた大人の助けを得ながら、子どもは「なんだかわからないけど自分におかしいことが起きている」という感覚にどう対処するのか学ぶことができます。そうして、だんだんと無意識に対するアクセスが上手になっていくのでしょう。

 

醜形恐怖や自己臭恐怖などの神経症も、その症状はお腹が痛くなるとかに比べると強烈かもしれませんが、自分の知らないところでのストレスであったり葛藤が表現されている状態と考えられます。

無意識を発見したフロイトが例えたようにココロを氷山ととらえると(「フロイト、氷山」でググるとたくさんの画像を見ることができます)、「自分がこの上なく醜い」とか「自分の臭いが周りに迷惑をかけている」などと強烈に思えてしまうところは、海の上にぽっちりと出た氷山の頭の部分で、下にはもっと大きな何か、なんだかわからないけどなにかおかしいことが隠れているサインなのです。

そういうときに、美容整形を繰り返したり、何度も身体を洗ったりデオドラントスプレーを丸々一本使うのは、不登校の時にお腹を痛がる子どもに虫下しを飲ませるようなものでしょう。問題は海の下にあるのです。

なんだかわからないけどなにかおかしいことが起こっていることに気が付くのは難しいことです。でもその時に感じている、違和感、落ちこみ、不安などのいわゆる不快な感情が私たちにそれを教えてくれています。

もしその感情もなんらかの理由でシャットアウトされて感じなくなっていたら、それは無意識にアクセスするガイドを見失っている状態であるといってもいいでしょう。

 

その時は、感情を見つける、という作業から入っていくようになります。

いつだって何かしらの手はあるってことです。

 

●感情を見つける方法の一つ☞【感情調整】感情が出すぎる人ではなく、出ない人の話です

 

ではまた!

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投稿: 飯田橋 サードプレイス

東京千代田区飯田橋にあるカウンセリングルーム、サードプレイスのブログです。

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